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JBI の代表はなぜ小さな会社の FileMaker 未経験者/初級者に自作システム支援を始めたのか(前編)



ジャパン・ビット・イノベーション [JBI] ではデータ管理に関する支援を行っています。
(業務改善、業務効率化、IT 化、売上UP戦略など)
それは主に FileMaker という業務ツールを使用しています。 ※ FileMaker とは?🔗

JBI 代表の永澤(ながにぃ)は教育学部出身の文系人間です。
学生の頃は心理学や地理・地学が好きなサッカー小僧でした。
そんな代表が、なぜ FileMaker を教えるような支援を始めたのか?そんなことをお話ししてみます。


FileMaker の可能性

結論から申し上げますと、

『 FileMaker に可能性を感じたから 』

ということになります。




音楽関連の会社で働いていたとき、FileMaker でデータ管理をしていました。
ある時、事業の縮小でチーム人数が大幅に減り、僕は 1人で4人分の仕事を背負うことになりました。
最初のうちは毎晩終電で帰るような状態が続いたのです…。
しかし、


しかし、3か月後には FileMaker を駆使して 1人で業務をこなす体制を構築していたのです。




もちろん通常業務に加えてコツコツと FileMaker の機能UPと改善を重ねていました。
その間はかなり負荷が高かったこともあって毎日終電でした。
でも一度構築できれば、その後は驚くほど時間に余裕ができ、ほぼ毎日定時で帰っていました。
(余裕ができたので書や陶芸などを習っていたのがこの頃です)


「もしかして、FileMaker ひとつあれば、何でも出来てしまうのではないか?」


これは後々に思ったことですが、僕は「 FileMaker の可能性」に魅了されました。
そして FileMaker があれば、きっとこんなことが可能になると思いました。
  • 自分の思い通りにデータ管理ができる
  • 思い通りのことができるから仕事が楽しくなる
  • 業務効率化で作業時間は減り、逆に人生の充足時間(好きなことに使える時間)が増える


「このような人が増えれば日本はもっと良くなるに違いない」



日本は小さな会社に属する人のほうが圧倒的に多い状況です(個人を含めて)。
小さな会社を助けることができれば、より心豊かな日本を創ることができるかもしれない、と思いました。
これが、僕が FileMaker を使って支援を始めた理由になります。





ここから以降は、僕自身の人生に照らし合わせて更に FileMaker の可能性を書いてみます。
気晴らしにでも結構ですので、どうぞご笑覧ください。

思い返してみると、僕の人生は割とオリジナルで随時カスタマイズを積み重ねていました。
それは何だか FileMaker と共通するところでもあります。
FileMaker はとにかく自分なりに "工夫" できるのが楽しいのです。




なお、僕の人生のカスタマイズはとても面倒で簡潔に書ききれないため(笑)、
(前編)と(後編)の2部構成でご覧頂きたいと思います。




JBI の代表はなぜ小さな会社の FileMaker 未経験者/初級者に自作システム支援を始めたのか

(前編)
  • FileMaker との出会い
  • FileMaker の可能性の萌芽
  • 人生の迷い、葛藤、そして旅
  • 自分はなにをして生きていけばいいのか

(後編)
  • もがいていた時代
  • 自分の力で稼ぎたい
  • FileMakerとの再会
  • 唐突にやってきた試練
  • 試練を乗り越えFileMakerで仕事をすると決める
  • 成長させてくれた失敗
  • FileMakerの仕事を選んで良かった
  • 生産管理システムに挑む
  • 共に成長し、共に感謝し合えること
  • 未経験者や初級者にも可能性が拡がるFileMaker
(後編)を読む >



FileMaker との出会い

僕が FileMaker と出会ったのは2002年頃でした。
たくさんの着メロデータを管理する音楽関連の会社で FileMaker が使われていたのです。
ご存知かどうか、着メロは着信メロディのことでガラケー全盛の当時に着メロは人気コンテンツでした。





着メロデータは音楽が得意なスタッフ(ミュージシャンが多かった)が MIDI という音データに変換して着メロを作ります。
毎日 20~30曲前後でしたか、たくさんの音源データと MIDIデータを工程に合わせて管理する必要がありました。
そのデータ管理を FileMaker とエクセルで行っていたのです。




僕がそのとき初めて扱った FileMaker のバージョンは6でした。(2021年9月現在の最新バージョンは19)
当初はアルバイトでもあり、データを入力したり検索するだけの簡単な仕事でした。

そのうち画面を少し修正してみたり、スクリプト(マクロのような自動化の仕組み)を作ってみたりと、少しずつできる範囲が拡がっていきました。
自分が「もっとこうしたいな」と思ったことが実際に形になるのは面白いな、と思いながら仕事をしていたことを思い出します。





FileMaker の可能性の萌芽

そんな中で 2008年、携帯電話業界に激震が走ります。
iPhone が日本で初めて販売されたのです。これを境にスマートフォンが急速に広がっていきました。



それは着メロの衰退の始まりでもあったのです。

市場は勢いを失い、足並みを揃えるように会社の事業も縮小されました。
30名以上いた着メロチームは徐々に減らされて 6名に。
管理チームは僕 1人になり、4人分の仕事を背負うことになったのです。

でも僕は「何とかなりそう」な予感がありました。
その頃には FileMaker のスキルもアップしていたし、プログラミングで VB ツールを作ってエクセル作業の自動化に着手していたからです。

「よし、やってやろう」


とはいえ、4人分の業務を FileMaker に落とし込むのはそう簡単なことではありません。
通常業務の合間にコツコツと少しずつ機能を追加し、改良を重ねていきました。
2足のわらじ状態で、3ヶ月間はほとんど毎日のように終電で帰っていました。




ところが、3か月が過ぎた頃から目に見えて効率化が進み出したのです。
機能アップと改良の点と点がつながり始めたのだと思います。
あれよあれよと帰る時間が早くなっていき、ついに定時で帰る日が来ました。
4人分の仕事を 1人で、しかも定時で帰れるようになった時は感慨深かったことを覚えています。



いま振り返ってみれば、楽曲リストの受注から着メロデータの納品まで FileMaker で一気通貫に管理できるようになったことが大きかったと思います。
ボタンをポチポチと押して、MIDI制作スタッフへのスケジュール分配をし、指示書を発行。
フォルダ作成もファイル保存もほぼ自動化することに成功しました。
言葉にすると簡単ですが、とにかく 3ヶ月をかけて手作業時の数時間を、数分~数十分でできる仕組みにしたのです。



当然、その頃にはすっかり FileMaker に魅了されていた状態です(笑)
ただ、当時の僕にとって FileMaker は業務の一環で使う道具の一つにすぎませんでした。


人生の迷い、葛藤、そして旅

ところで僕は教育学部の出身で、数学は特に好きでもなく、地理や地学のほうが好きな文系人間でした。
僕がコンピュータを学んだのは新卒で入社した会社の研修が初めてでした。(着メロの会社に入るずっと前のことです)

それまでの僕は、パソコン画面のデスクトップにあるショートカットアイコンを誤ってゴミ箱に入れだけでパニックになるほどでした。
大学の就職相談室にあったパソコンでその事件(笑)を起こしました。知らぬ振りでそそくさと逃げ去ってすみませんでした。(当時の管理者の方へ)





初めてさわったコンピュータらしいものといえば、ゲーム以外では父親が持つワープロだったと思います(興味はあって色々いじっていました)。
つまり、決してコンピュータ人間ではないということです。
中学から社会人までずっとサッカーをやっていたくらい、機械とはかけ離れた人間でした。

ちなみにプロサッカー選手を夢みていましたが、最終的に東京都1部リーグのチームに "所属" するところまでいってサッカーを引退しました。





そんな僕でしたが、なんとなく「この先コンピュータの時代が来る」と予感をしていました。
そんなこともあって、まったくの未経験でもプログラマ育成してくれた会社に入社したのです。(今でもその会社には採用してくれたことに感謝しています)





ただ、僕の中で拭い切れない想いがずっと頭にこびりついていました。




「人生なんて一度切り」
「世の中には自分の知らないことがたくさんある」
「このまま世の中を知らずに生きていてもいいのか?」





僕は連休や有給休暇を使って日本を旅するようになりました。
年に2回ほどローカル線に乗って、冒険のように見知らぬ土地に行くようになったのです。
(ローカル線の旅は今でも続いています!)
前編を飛ばして後編を読む ▶


自分はなにをして生きていけばいいのか


最初の旅は、「千葉(当時住んでいた所) → 山梨 → 長野 → 新潟 → 帰路」を2泊くらいでほとんど移動だけの旅でした。
見知らぬ風景を見るのは僕にとって新鮮でした。それがいつしか自分探しの旅にもなっていきました。





「自分はなにをして生きていけばいいのか」



新卒で入った会社を辞めた後、京都の天橋立(あまのはしだて)に旅をしたときでした。
何をして生きていくか・・・・・・。夜空の下で、消去法をしながら出した答えが、笑われるかもしれませんが歌詞をつくる「作詩家」でした。





その答えまでのロジックがこうです。

◯ なぜか「色」に興味があって会社を辞めた後に色彩講座をスクールで学ぶ
 ⇓
◯ 色を学んでみると日本語の「色」の名前が面白いことに気づく。(例えば「甕覗(かめのぞき)」は薄い藍色。藍を染める甕に入れて間もない頃の色)
 ⇓
◯ 日本語が面白くなり、更には日本そのものも興味深い、奥深い国であると気づく。


つまり、「日本」と「日本語」に非常に強い関心を持つようになっていきました。




アジアの端っこ日本。
太平洋の辺縁にあるちっぽけな島国。
それなのに先進国。
でも海に囲まれ山地が多く自然いっぱい。
独自の歴史を持っている。




そしてなんと言っても世界に類を見ない独自の言語文化があります。
日本語は漢字・ひらがな・カタカナと三種類も使い分けているんです。(普段気にしませんが)
いやー、これほど面白い国は他にありません!(他国は知りませんが)




そういったことを考えた結果、日本や日本語に関する仕事で、しかもうまくいけば印税生活ができるという甘い幻想を抱いて導かれた答えが「作詩家」だったのです。
目標も立てました。



「百年残るものを創る」



作詩なんて当然やったことはありません。
ダメもとで死ぬまで叶わないくらいのものが良いと、この目標(あるいは人生テーマ)を掲げました。



しかしこれが偶然にも(必然かも)、僕に「生きる目的」を与えてくれました。
どう生きていいか分からなかった未来に、遠くかすみながらもうっすらと紺碧の旗が掲げられたのです。

余談ですが、人は目的を定めると前に進んでいけるのだと知ることができたのは、この人生テーマを掲げたお蔭です。





希望の光は、感謝の心も芽生えさせてくれました。
「この面白い日本に感謝を込めて、僕の経験を日本に還元しよう」と思えるようになりました。

目標(人生テーマ)には「日本への還元」も加えました。
さらに初心忘るべからずで「一生勉強」も加えて、僕は新たな空の下で動き始めました。


「百年残るものを創る」
「日本への還元」
「一生勉強」



そうして人生が少し動き出したところで、FileMaker の仕事に辿り着くことになるのです。


(後編)へ続く >





今日も良い一日を♪




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